イビチャ・オシム

イビチャ・オシム

リーダーとは生まれつきのものだ。リーダーとして生まれるか、そうでないか。学べるものではないし、そのための学校もない。そこに難しさがある。

 

あなたは、息子さんを「最後まであきらめずに走る子供」に育てましたか?

 

古い井戸に水があるのに新しい井戸を掘るのはやめた方がいい。チームを作るならば経験のある選手たちを中心にして作らねばならない。

 

エゴイズムはプレッシャーへの強さでもある。エゴイストだから外す、では監督として単純すぎる

 

日本人は批判されることをネガティブに捉える傾向がある。日本人は、本音をグサリと言われることが好きではないように思えた。

 

恐らく世界のベストプレーヤーとは、ペレとマラドーナで間違いないだろう。しかし、彼らにも弱点はある。走らないことだ。

 

サッカーにおける「スピード」とは何か。それは、相手選手より速く走ることだけを意味してはいない。スター選手の中には足の遅い選手もいる。

 

ひとりで試合を変えられる選手たちの時代が、これからやって来るかもしれない。今日もそういう選手は存在し、チームは彼らを必要としている。あらゆる大会が明らかにしているのは、そういう選手を持たないチームは、絶対に優勝できないということだ。

 

人の頭ではなく、自分の頭で考えなければならない。

 

トップクラスの選手は、シンプルにプレーするものであり、それが一番美しい。

 

ただ大量の水を運べばいいわけではない。おいしい水でなければならない。泉からわいたばかりの、冷たい水だ。日本にもワサビを栽培する泉があるだろう。ああいうところの水だ。

 

巧い選手でも走らなければいけない。走らないぶんの借金は監督が払わなければいけない。

 

結局、オランダは決勝まで進んだ。彼らは、相手を破壊するような汚いサッカーをすることもできる。オランダは、すべてを知っているチームだったのだ。

 

いいチームとは、実は、大きな集合体(ビッグユニット)における、小さな集合体(スモールユニット)が、やるべき仕事を確実にミスなく成し遂げているチームなのだ。

 

サッカーというものは紙に書いてすべてを説明できるものではない。いろいろな情報やビジョン、アイデアがあり、それらが全部混ざって成り立っているものだ

 

最も美しいサッカーを実践し、選手は常に動き、危険で、技術も高い。スペインはサッカーの未来を象徴している。

 

監督というものは、常に何がうまくいっていないかを探さないといけない。私はブラシのようなもの。常にホコリをはらうことをしないといけないのだ

 

ブラジルが一番と決まっているのだったら、ほかの国はサッカーをやる必要はない。だから、サッカーは面白いんだ。強いと言われていても、彼らが常に勝つわけではない

 

ピッチで指示を待ち続けていたら、試合には負けてしまう。私が望んだのは、対戦相手のことを考え、敵にとって危険な地帯へ進入していくプレーだ。

 

厳しい状況に追い込まれるほど、選手は問題を解決しようと努力し、発想が豊かになるものだ。ゆえに悪条件下では、メンタルフィットネスの準備がとても重要になってくる。

 

代表選手というのは、代表だけではなく各クラブでもプレーするわけで、人生を二倍生きているようなものだ。Jという人生、代表という人生を二つ生きているわけだ。

 

サッカーに最も必要なのはアイデアだ。アイデアの無い人ももちろんサッカーはできるが、サッカー選手にはなれない

 

まずは俺の練習を100%でやれ。足りないものはその練習に全部つまっているから

 

リスクを冒して失敗したらそれは褒めてやった。その代わり、同じ失敗は繰り返すなよ、と言った。そうすると選手は成長する。

 

選手は何かを成し遂げられるという自信を持たなければならない。リーグ優勝でもカップ戦でも何でも良いが、勝てるという自信がなければプロサッカーという仕事はできない。

 

全てが偶然だけなら、サッカーに監督は必要ない。だが、偶然についてもいろいろ哲学することできる。どんな偶然も、自分たちがサポートすることによって、幸運を自分たちのほうに引っ張ることができる。

 

人生は100年も続かない。選手のサッカーキャリアなどもっと短い。その短い選手生命の中で、何か歴史に残ることをしようじゃないか。

 

美しいサッカーとは何なのか。(中略)文章で表現するのは簡単だが、ピッチ上で、そのサッカーを実現することは難しい。

 

自由を与えられた選手は、いつどこでどのようにプレーするか自分で判断しなければならない。・・・自由を与えられて何かできる選手と、何もできなくなる選手がいる

 

今の世の中、真実そのものを言うことは往々にして危険だ。サッカーも政治も、世の真実には辛いことが多すぎる。だから真実に近いことを言うようにしているのだ。

 

監督の右腕となる人物は、ピッチの上にも必要だ。それが中澤であるのか、それとも俊輔や楢崎なのか。人望が厚く、他の選手たちが言葉に耳を傾ける選手。その選手がキャプテンになるのだろうし、ひとりではなくふたり必要だ。

 

ゲームに負けることはある。ただ負けるにしても自分たちのプレーをやりきって負けるのと、そうでないのでは大きな違いだ

 

美しさと効率性は両立しない。それが両立できているのはバルセロナぐらいのものだ

 

サッカーは技術だけではなく、何かを感じる感覚-遠くを見たり、位置関係やタイミングを計る目、チャンスやピンチになりそうだと嗅ぎつける鼻-そういうものが大事だ。それを育てるためにはまわりの援助が必要だ。その上で、才能が努力によって開くのだ。

 

現代サッカーは責任感に基づいていると言っても過言ではない。責任感のある選手だけが、プレーできるのだ。

 

リスクを負わないチャレンジはない。そういう日本人に欠けている哲学の部分を埋めたいと考えていた。

 

日本の最大の長所は機敏性である。私が日本代表監督に就任した際、それを最大の武器として期待し計算していた。実際、(中略)それは、世界が「まるで忍者のようだ」と表現するほどのものだった。