ゲーテ

ゲーテ

 

小さい夢は見るな。それには人の心を動かす力がないからだ。

 

人間は努力する限り過ちを犯すものだ。

 

理解していないものは、所有しているとは言えない。

 

何をやっているか知らないことほど恐ろしいことはない。

 

興味の無くなるところ、記憶もまた無くなる。

 

考える事は知ることよりおもしろい。しかし、見ることには及ばない。

 

自分自身を信じてみるだけでいい。きっと、生きる道が見えてくる。

 

人生において重要なのは生きることであって、生きた結果ではない。

 

涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の味はわからない。

 

その夢を失くして、生きてゆけるかどうかで考えなさい。

 

高尚なる男性は、女性の忠告によって、いっそう高尚になる。

 

自分の心を支配できぬ者に限って、とかく隣人の意志を支配したがるものだ。

 

若いうちの誤りは、きわめて結構だ。ただ、それを年をとるまで引きずってはならない。

 

新聞を読まなくなってから、私は心がのびのびし、実に気持ちが良いです。人々は他人のすることばかり気にかけて、自分の手近の義務を忘れがちです。

 

人はいかに遇されるかによって、それなりの人物になっていく。

 

人間は、なんと知ることの早く、おこなうことの遅い生き物だろう!

 

性に合わない人たちとつきあってこそ、うまくやって行くために自制しなければならないし、それを通して、われわれの心の中にあるいろいろ違った側面が刺激されて、発展し完成するのであって、やがて、誰とぶつかってもびくともしないようになるわけだ。

 

年をとるということが既に、新しい仕事につくことなのだ。すべての事情は変わって行く。我々は活動することを全然やめるか、進んで自覚をもって、新しい役割を引き受けるか、どちらかを選ぶほかない。

 

忘恩はつねに一種の弱さである。わたしは有能な人たちが恩知らずであった例を知らない。

 

みずから勇敢に戦った者にして初めて英雄を心からほめたたえるだろう。暑さ寒さに苦しんだ者でなければ、人間の値打ちなんかわかりようがない。

 

虚栄は軽薄な美人に最もふさわしい。

 

今の人間は偉大なもののあらさがしをしては喜んでいる。偉大なものを攻撃すれば、その分、自分が偉く思われると信じているのだ。ばかばかしい!偉大なものを尊敬してこそ、その分、自分も高まるのだ。

 

真の知識は経験あるのみ。

 

生きている間は、なにごとも延期するな。なんじの一生は、実行また実行であれ。

 

大切なことは、大志を抱き、それを成し遂げる技能と忍耐を持つということである。その他はいずれも重要ではない。

 

われわれは結局何を目ざすべきか。世の中を知り、それを軽蔑しないことだ。

 

愚者と賢者はともに害がない。半端な愚者と半端な賢者が、いちばん危険なのである。

 

三千年の歴史から学ぶことを知らぬ者は、知ることもなく、闇の中にいよ、その日その日を生きるとも。

 

人は各種各様の旅をして、結局、自分が持っていたものだけを持って帰る。

 

人間は常に迷っている。迷っている間は常に何かを求めている。

 

生の歓びは大きいけれども、自覚ある生の歓びはさらに大きい。

 

大切なことを、つまらぬものの犠牲にしてはならぬ。

 

発言し、活動しなければならない。多数派に属するか、少数派に属するかはまったくどうでもいいことだ。

 

本当に不幸なのは、できることを未完のまま放り出し、理解もしていないことをやり始めてしまう人々だ。彼らがやがて嘆くのも無理はない。

 

いつかは目標に通じる歩みを一歩一歩と運んでいくのでは足りない。その一歩一歩が目標なのだし、一歩そのものが価値あるものでなければならないよ。

 

どこに行こうとしているのかわからないのに、決して遠くまで行けるものではない。

 

結婚生活はすべての文化の始めであり、頂上である。それは乱暴者を穏やかにし、教養の高い者にとっては、その温情を証明する最上の機会である。

 

思慮深い人は、決して敵を侮らない。

 

十歳にして菓子に動かされ、二十歳にしては恋人に、三十歳にして快楽に、四十歳にしては野心に、五十歳にしては貪欲に動かされる。いつになったら人間は、ただ知性のみを追って進むようになるのであろうか。

 

神は、移ろいやすいものだけを美しくした。

 

生まれが同時代、仕事が同業、といった身近な人から学ぶ必要は無い。何世紀も普遍の価値、普遍の名声を保ってきた作品を持つ、過去の偉大な人物にこそ学ぶことだ。

 

誰一人知る人もない人ごみの中をかき分けていくときほど、強く孤独を感じるときはない。

 

本当の自由な心とは「認める」ということである

 

とにかく、とりかかれば心が燃え上がるし、続けていれば仕事は完成する。

 

愛する人の欠点を愛することのできない者は、真に愛しているとは言えない。

 

現実を直視する心に、本当の理想が生まれる。

 

支配したり服従したりしないで、それでいて、何者かであり得る人間だけが、本当に幸福であり、偉大なのだ。

 

人間を堕落に導くもっとも大きな悪魔は、自分自身を嫌う心である。

 

批判に対しては、身を守ることも抵抗することもできない。それをものともせずに行動しなければならない。そうすれば批判もやむなくだんだんにそれを認めるようになる。

 

戦の前に敵を見くびるのは愚かなことであり、勝利のあとで敵に追い討ちをかけるのは卑怯なことである。

 

不可能と思えることであっても、まるで可能であるかのように扱うことだ。

 

名誉を失っても、もともとなかったと思えば生きていける。財産を失ってもまたつくればよい。しかし勇気を失ったら、生きている値打ちがない。

 

なぜ、このように悪口が絶えないのか。人々は他人のちょっとした功績でも認めると、自分の品位が下がるように思っている。

 

人にだまされることは決してない。自分にだまされるのだ。

 

人間には多くの宝、多くの楽しみが与えられている。しかし人生最大の幸福、最も豊かな収穫は、なんといっても善良軽快な心だ。

 

不正なことが不正な方法で除かれるよりは、不正が行われているほうがまだいい。

 

すべてを自分自身のおかげだと思うとしたら、それ以上進歩はできない。

 

自分の一生の終わりを初めと結びつけることのできる人は最も幸福である。

 

自分自身の道を迷って歩いている子供や青年のほうが、他人の道を間違いなく歩いている人々よりも好ましく思う。

 

焦ることは何の役にも立たない。後悔はなおさら役に立たない。焦りは過ちを増し、後悔は新しい後悔をつくる。

 

人間の最大の罪は不機嫌である。

 

他人を自分に同調させようなどと望むのは、そもそも馬鹿げた話だよ。

 

同じ経験を繰り返して話をする人に言えることだが、彼らは経験すべきことの半分も自分が経験していないことを、いつまでもわかっていない。

 

立派な目標と偉大な仕事をやり遂げる道は二つしかない。体力と耐久力である。体力はほんの一握りの恵まれた人間のものである。しかし厳しく身を守り、常に耐え抜くことは、ごく弱小な者でもできるし、たいていの場合目標を達成する。これは、彼の無言の力が時が経つにつれ、何ものにあってもへこたれないほど強力になるからだ。

 

自由と存在は、日々それを新たに勝ち取る者のみが、受けるに値する。

 

人間はどんなことにも耐えることができる。普通の日々が続くことを除いては。

 

われわれは知っている物しか目に入らない。

 

才能は孤独のうちに育ち、人格は社会の荒波の中で最適に形成される。

 

知ることだけでは充分ではない、それを使わないといけない。やる気だけでは充分ではない、実行しないといけない。