レオナルド・ダ・ヴィンチ

レオナルド・ダ・ヴィンチ

あらゆるものは、他のあらゆるものと関連する。

 

シンプルさは究極の洗練である。

 

同じ眼でながめた対象が、あるときは大きく、あるときは小さく見える。

 

川の中ではあなたが触る水が一番最後に過ぎ去ったものであり、また、一番最初に来るものである。現在という時も同じである。

 

充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、充実した一生は幸福な死をもたらす。

 

食欲がないのに食べても健康に悪いように、やる気がないのに勉強しても記憶力が損なわれ、記憶したことは保存されない。

 

希望が死ぬと願掛けが生まれる。

 

こわがればこわがるほど、逃げれば逃げるほど、近くによってくるものがある。それは貧窮だ。逃げれば逃げるほど、君は悲惨になり安らぎをうしなう。

 

一日で金持ちになりたいと思うものは一年で首を吊られる。

 

私を軽蔑するな、私は貧乏ではないからな、やたらに沢山のものを欲しがる者こそ貧乏なのだ。

 

老いてからの欠乏を補うのに十分なものを青年時代に獲得しておけ。老年が食物として必要なのは「知恵」である。そのことを知る者は(知恵の)栄養不足にならぬよう、若いうちに努力せよ。

 

解剖して分かったことだが、人間は死ぬように出来ているのだ。

 

ほめれば間違いだし、そしればなお悪い。君がそのことをよく理解していないときには。

 

人間はやり通す力があるかないかによってのみ、称賛または非難に値する。

 

その手に魂が込められなければ、芸術は生まれない。

 

顔に人間の性格、人間の癖や性質を部分的に示す特徴が見られるというのは真実である。

 

知るだけでは不十分である。活用しなければならない。意思だけでは不十分である。実行しなければならない。

 

十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ。

 

本当に物事が分かっている人は、大声を出さないものである。

 

孤独であることは救われることである。

 

徳は、生まれると同時に、徳に反対する嫉妬をも生み出す。嫉妬を伴わない徳よりも、影を伴わない物体のほうが先に現れるだろう。

 

理解するための最良の手段は、自然の無限の作品をたっぷり鑑賞することだ。

 

猫は、どんなに小さくても最高傑作である。

 

質素であることは最も素敵なことだ。

 

悪を罰しない者は悪をなせと命じているのだ。

 

どこか遠くへ行きなさい。仕事が小さく見えてきて、もっと全体がよく眺められるようになります。不調和やアンバランスがもっとよく見えてきます。

 

人間の巧妙さが、自然が創造するものよりも美しくシンプルな、あるいは正確な発明をすることは決してできない。なぜなら自然の女神の創造物には何一つ欠けるところがなく、何一つ過分なものがないからである。

 

あらゆるものの部分はそれ自身のうちに全体の性質を保っている。

 

人が一番惑わされやすいのは、自分自身の考えによってだ。

 

失われうるものを富と呼んではならない。徳こそ本当のわれわれの財産で、それを所有する人の本当の褒美なのである。

 

よく知られているように、間違いというものは、自分の仕事よりも他人の仕事の中に見つけやすいものだ。絵を描くときには、平らな鏡を使って、そこに自分の作品を映してみるとよい。すると、絵が左右逆に映し出される。そうすれば、誰かほかの画家によって描かれているように見え、じかに自分の絵を見ているときよりも、その欠点がよく見えるものだ。

 

自分の判断以上に自分を欺くものはない。

 

画家は孤独でなければならない。なぜなら、一人なら完全に自分自身になることができるからだ。たった一人の道連れでもいれば、半分しか自分ではなくなる。

 

知ることが少なければ愛することも少ない。

 

多くの人は、私を非案する正当な理由があると考えるだろう。判断力が未熟なために、権威ある人々の考えと私の見解が正反対であると断じ、私の仕事が単純で平易な経験から得られた問題提起だとは考えないのだ。

 

快楽のうしろには面倒と悔恨をもたらすものがついている。

 

誰も他人のやり方を真似すべきではない。なぜなら、真似をすれば自然の子供ではなく、自然の孫でしかない。我々には自然の形態がたくさん与えられているのだから、直接自然に触れることが大事だ。

 

優れた画家はふたつのものを描く。人と人の心の動きである。

 

私の描くこの人体は、君の目の前にまるで本人がいるようにはっきりと見えるだろう。もし君が人間の体の各部位を解剖学的に完全に知りたいと思うなら、君あるいは君の目は、下から、前から、横から、また、回してみたり、どこに起点があるか調べたりしながら、いろいろ異なった面から観察しなければならない。私の絵は、どんな部位でも君にはっきりわかる。体の各部位を三つの視点から見て表現することが大切なのだ。

 

鉄は使わなければ錆びる。水は澱んでいれば濁り、寒空には凍ってしまう。ましてや怠惰でいれば気力さえも失われる。

 

愛は知識の母である。

 

芸術に決して完成ということはない。途中で見切りをつけたものがあるだけだ。

 

何にせよ、勉強したことを記憶したいと思ったら、以下の方法に従うとよい。同じものを何度も描いて「もう記憶してしまった」と思ったら、モデルを見ずに描いてみる。ただ、そのあとで、薄い滑らかなガラスの上でモデルをトレースしたものを、モデルなしで描いたものに乗せて合わせてみる。トレースしたものと描いたもののどこが符合するか注目する。また、どこで間違いを犯したか見つけ、二度と同じ間違えをしないために、そこを記憶する。何度も間違えるところは、心の修正をするために、モデルに戻って写してみても良い。

 

美しいものと醜いものはともにあると互いに引き立て合う。

 

人間は古代人によって小宇宙と呼ばれた。この言葉は実に当を得ている。なぜなら、人間には肉を支える枠組みとしての骨があり、地球には土を支える岩がある。人間は血液という湖を持ち、そこでは肺が膨らんだり、しぼんだりして呼吸作用をしているように、地球には海があり、四六時中潮の満ち引きが宇宙の呼吸作用を繰り返す。血液の湖からは静脈が出ており、体中に枝分かれしていくように、海は地球に無限の水脈を広げている。

 

つねに恐れつつ進まぬ者は、数々の侮辱にあい、しばしば悔いることになる。

 

音楽は絵の妹と呼べるだろう。なぜならそれは聴覚に頼るからで、聴覚は第二番目の感覚だから。絵は何よりも優れていて、音楽より高く位置づけられている。というのも、絵は生まれるやいなや消えてしまうというようなことがないからだ。

 

自然は自己の法則を破らない。

 

すべては、すべてから来る。すべては、すべてから創られ、すべては、すべてに戻っていく。すべては、すべてに包み込まれる。

 

このところずっと、私は生き方を学んでいるつもりだったが、最初からずっと、死に方を学んでいたのだ。