レフ・トルストイ

トルストイ

夫婦喧嘩は喧嘩ではなく、あれは性欲がやんだ結果現れたお互いの本当の関係に過ぎないのです。

 

人生とは幸福への努力である。

 

愚かな人間は沈黙しているのが最もよい。だが、もしその事を知ったならば、その人はもう愚かな人間ではない。

 

美は善であるという完全な幻想が、往々にして存在する

 

女性は自分を、性欲を刺激する道具に仕立て上げてしまったため、男は冷静に女性と応対することが出来なくなってしまったのです。女のそばに近づいただけで、男はその妖気にあたって、ぼうっとなってしまうのです。

 

何の試練も受けていない者は、試練を受けている人に、何も教えることはできません。

 

日記とは自己との対話である。

 

人間の真価は分数のようなものだ。分母は自己の評価、分子は他人による評価である。分母が大きくなるほど、結局、真価は小さくなる。

 

もし苦しみがなかったら、人間は自分の限界を知らなかったろうし、自分というものを知らなかったろう。

 

一生涯ひとりの異性を愛することは、一本の蝋燭(ろうそく)が生涯燃えることと同じである。

 

人間が馴れることのできぬ環境というものはない。ことに周囲の者がみな自分と同じように暮らしているのが分かっている場合はなおさらである。

 

天才とは強烈なる忍耐者をいう。

 

時間が流れる、と私たちはいう。これは正しくない。進んでいるのは、私たちであって時間ではない。

 

知識は手段であって目的ではない。

 

嫉妬とは、愛の保証への要求である。

 

犠牲と苦悩、これらが思想家と芸術家の運命である。

 

よい人間とは、自分の罪をいつまでも忘れないで、自分の善行はすぐに忘れる者のことである。わるい人間とは、その反対に、自分の善行をいつまでも忘れないで、 自分の罪はすぐに忘れる者のことである 自分を許すな そうすれば、容易に他人を許すことができよう

 

人生には唯一つだけ疑いのない幸福がある。人のために生きることである。

 

時間は存在しない。存在するのは、瞬間だけである。

 

人生の意義を探し求めようとしない者がいるならば、その人間は生きながら死んでいるのだ。

 

誰もが世界を変えることを考えるが、誰も自分自身を変えることは考えない。

 

人間が幸福であるために避けることのできない条件は勤労である。

 

時は過ぎ去るけれども、ひとたび発せられた言葉は、永久にあとに残る。

 

死の存在とは、あるいは我々に自発的に人生を断念させ、あるいは、死が奪うことの出来ない意味を人生に与えることによって、我々の人生を変容せしめるのだ。

 

(不倫を終わらす)解決法は二つしかないんだ。妻を殺すか、あの女を殺す。その他…あ、そうか、第三の道があった。自分を殺すんだ。そう、自殺だ。そうすれば二人を殺す必要もない。

 

額に汗して営々と働かなければ、健康な肉体はあり得ない。また健康な思想も頭脳に沸き得ない。

 

ああ、金、金!この金のためにどれほど多くの悲しいことがこの世に起こることであろうか!

 

人間を自由にできるのは、人間の理性だけである。人間の生活は、理性を失えば失うほどますます不自由になる。

 

死の恐怖は、解決されない生の矛盾の意識にすぎない。

 

戦争というものは、最も卑しい罪科の多い連中が権力と名誉を奪い合う状態をいう。

 

女――それは男の活動にとって、大きなつまずきの石である。女に恋しながら何かをするということは困難である。

 

幸福な家庭はどれも似たものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。

 

神は人間に額に汗して働けと命じている。銀行に金を積んで、何もしないで食べていこうとするのは人間の掟に反することだ。

 

悔恨がないのは、前進がないからである。

 

一旦やろうと思い立ったことは気乗りがしないとか気晴らしがしたいなどという口実で延期するな。直ちに、たとい見せかけなりとも、とりかかるべし。いい知恵は浮かぶものなり。

 

人間にとって最高の幸福は、一年の終わりにおける自己を、その一年の始めにおける自己よりも、遥かに良くなったと感ずることである。

 

悪に対して悪をもって報いることは、幸福を失うことである。悪に対して愛をもって報いることは、幸福を得ることである。

 

不幸―─それはただ黄金をためす火にすぎない。

 

他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない。他人の幸福の中にこそ、自分の幸福もあるのだ

 

永遠に比べたらほんの一瞬しか生きていられないのに、人生なぞ苦しむに値するものだろうか?

 

餓死する者はめったにいない。うまいものを食べすぎ、そして働かないために病死する人のほうがはるかに多い。

 

孤独なとき、人間はまことの自分自身を感じる。

 

動物は子孫をもうけ得る時期にだけしか交わりません。しかるに我々人間は、この忌まわしい万物の霊長はですね、快楽が得られさせすればかまわんというわけで、時と場所をわきまえません。

 

敵は常にいるであろう。敵をつくらないようにして生きていくことはできない。反対に、より良き生き方をすればするほど、ますます敵は増加する。

 

この世における使命をまっとうせんがために、我々の仕事を明日に繰り延べることなく、あらゆる瞬間において、自己の全力を傾注して生きなければならない

 

もし善が原因をもっていたとしたら、それはもう善ではない。もしそれが結果を持てば、やはり善とは言えない。だから、善は因果の連鎖の枠外にあるのだ。

 

人間が幸福で、完全に自由であるような状態は、この世にないが、人間が完全に不幸で、少しの自由もないような状態も、またあり得ない。

 

この世界で私たちが見るすべてのもの、私たちが考えるすべてのものは、その根源を私たちの精神のうちにもっているのだ。

 

富は糞尿と同じく、それが貯蓄されているときには悪臭を放ち、散布される時は土を肥やす。

 

真の文明人は、人生における自己の使命を知っている人間のことである。

 

生命は他の生命と多く結びつくほど、自我が拡大する。

 

神々は人々に食物をつかわしたが、悪魔は料理人をつかわした。

 

時は一瞬も休むことなき無限の動きである。

 

戦いにおいて最も重要なことは、最後の勝負に勝つことである。

 

肉体にだけピッタリした着物を着せるよりも、むしろ良心にピッタリした衣をまとわせるがよい。