三島由紀夫

三島由紀夫

精神を凌駕することのできるのは習慣という怪物だけなのだ。

 

 

世界が必ず滅びるといふ確信がなかつたら、どうやつて生きてゆくことができるだらう。

 

人間はあやまちを犯してはじめて真理を知る。

 

法律とは、本来ごく少数者のためのものなのだ。ごく少数の異常な純粋、この世の規矩を外れた熱誠、……それを泥棒や痴情の犯罪と全く同じ同等の《悪》へおとしめようとする機構なのだ。

 

人間を一番残酷にするのは 愛されているという自信だよ。

 

幸福つて、何も感じないことなのよ。幸福つて、もつと鈍感なものよ。幸福な人は、自分以外のことなんか夢にも考へないで生きてゆくんですよ。

 

この世のもっとも純粋な喜びは、他人の喜びをみることだ。

 

人生が生きるに値ひしないと考へることは容易いが、それだけにまた、生きるに値ひしないといふことを考へないでゐることは、多少とも鋭敏な感受性をもつた人には困難である。

 

幸福がつかのまだという哲学は、不幸な人間も幸福な人間もどちらも好い気持にさせる力を持っている。

 

人生とは何だ? 人生とは失語症だ。世界とは何だ? 世界とは失語症だ。歴史とは何だ?歴史とは失語症だ。芸術とは? 恋愛とは? 政治とは? 何でもかんでも失語症だ。

 

人間に忘却と、それに伴う過去の美化がなかったら、人間はどうして生に耐えることができるだろう。

 

恋愛とは、勿論、仏蘭西(フランス)の詩人が言つたやうに一つの拷問である。どちらがより多く相手を苦しめることができるか試してみませう、とメリメエがその女友達へ出した手紙のなかで書いてゐる。

 

決定されているが故に僕らの可能性は無限であり、止められているが故に僕らの飛翔は永遠である。

 

精神分析を待つまでもなく、人間のつく嘘のうちで、「一度も嘘をついたことがない」といふのは、おそらく最大の嘘である。

 

老夫妻の間の友情のようなものは、友情のもっとも美しい芸術品である。

 

感傷といふものが女性的な特質のやうに考へられてゐるのは明らかに誤解である。感傷的といふことは男性的といふことなのだ。

 

軽蔑とは、女の男に対する永遠の批評である。

 

女を抱くとき、われわれは大抵、顔か乳房か局部か太腿かをバラバラに抱いてゐるのだ。それを総括する「肉体」といふ観念の下(もと)に。

 

男の嫉妬の本当のギリギリのところは、体面を傷つけられた怒りだと断言してもよろしい。

 

美しい女と二人きりで歩いてゐる男は頼もしげにみえるのだが、女二人にはさまれて歩いてゐる男は道化じみる。

 

われわれは自分の弱さをいやがる気持ちから人の長所をみとめる

 

女性はそもそも、いろんな点でお月さまに似てをり、お月さまの影響を受けてゐるが、男に比して、すぐ肥つたりすぐやせたりしやすいところもお月さまそつくりである。

 

生まれて来て何を最初に教わるって、それは「諦める」ことよ。

 

無神論も、徹底すれば徹底するほど、唯一神信仰の裏返しにすぎぬ。無気力も、徹底すれば徹底するほど、情熱の裏返しにすぎぬ。

 

不安こそ、われわれが若さからぬすみうるこよない宝だ。

 

なぜ大人は酒を飲むのか。大人になると悲しいことに、酒を呑まなくては酔へないからである。子供なら、何も呑まなくても、忽ち遊びに酔つてしまふことができる。

 

何か、極く小さな、どんなありきたりな希望でもよい。それがなくては、人は明日のはうへ生き延びることができない。

 

忘却の早さと、何事も重大視しない情感の浅さこそ人間の最初の老いの兆しだ。

 

戦争が道徳を失はせたといふのは嘘だ。道徳はいつどこにでもころがつてゐる。しかし運動をするものに運動神経が必要とされるやうに、道徳的な神経がなくては道徳はつかまらない。戦争が失はせたのは道徳的神経だ。この神経なしには人は道徳的な行為をすることができぬ。従つてまた真の意味の不徳に到達することもできぬ筈だつた。

 

自分を理解しない人間を寄せつけないのは、芸術家として正しい態度である。芸術家は政治家じゃないのだから。

 

男といふものは、もし相手の女が、彼の肉体だけを求めてゐたのだとわかると、一等自尊心を鼓舞されて、大得意になるといふ妙なケダモノであります。

 

目標をめざして努力する過程にしか人間の幸福は存在しない。

 

このごろは、ベタベタ自分の子供の自慢をする若い男がふえて来たが、かういふのはどうも不潔でやりきれない。アメリカ人の風習の影響だらうが、誰にでも、やたらむしやうに自分の子供の写真を見せたがる。かういふ男を見ると、私は、こいつは何だつて男性の威厳を自ら失つて、人間生活に首までドップリひたつてやがるのか、と思つて腹立たしくなる。「自分の子供が可愛い」などといふ感情はワイセツな感情であつて、人に示すべきものではないらしい。

 

三千人と恋愛をした人が、一人と恋愛をした人に比べて、より多くについて知っているとはいえないのが、人生の面白味です。

 

今の時代はますます複雑になって、新聞を読んでも、テレビを見ても、真相はつかめない。そういうときに何があるかといえば、自分で見にいくほかないんだよ。いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)

 

あらゆる文章は形容詞から古くなっていく。

 

愛するということにかけては、女性こそ専門家で、男性は永遠の素人である。

 

無秩序が文学に愛されるのは、文学そのものが秩序の化身だからだ。

 

好奇心には道徳がないのである。もしかするとそれは人間のもちうるもつとも不徳な欲望かもしれない。

 

人生には濃い薄い、多い少ない、ということはありません。誰にも一ぺんコッキリの人生しかないのです。

 

ヒットラーは政治的天才であつたが、英雄ではなかつた。英雄といふものに必要な、爽やかさ、晴れやかさが、彼には徹底的に欠けてゐた。ヒットラーは、二十世紀そのもののやうに暗い。

 

貞女とは、多くの場合、世間の評判であり、その世間をカサに着た女のヨロイである。

 

現状維持というのは、つねに醜悪な思想であり、また、現状破壊というのは、つねに飢え渇いた貧しい思想である。

 

僕はいはゆる美人を見ると、美しいなんて思つたことはありません。ただ欲望を感じるだけです。不美人のはうが美といふ観念からすれば、純粋に美しいのかもしれません。何故つて、醜い女なら、欲望なしに見ることができますからね。

 

音楽の美は、その一瞬の短さにおいて生命に似ている。

 

この世には最高の瞬間といふものがある。この世における精神と自然との和解、精神と自然との交合の瞬間だ。

 

自分の顔と折合いをつけながら、だんだんに年をとってゆくのは賢明な方法である。