中村俊輔

Nakamura

「ガムシャラにやる」だけでは足りない。「先を想定し、課題を見つけて考える」課題は未来のために必要なこと。

 

僕は身体的に恵まれたとは言えない。線も細いし、身長が高いわけでもない。それでもヨーロッパで身体能力を武器にした選手と戦えるのは、「考えているから」だと思う。頭を使ったプレーができなければ、今の僕はない。

 

「あの場面ではパスの選択もあったよ。でも、最後はシュートを打ってもよかった」と言う。そうすれば、「そうか、パスもあったのか」と思うからね。誰にでもそうだけど、伝える順番に気を使いながら話すようにしている。頭ごなしに否定すると、人間はプイと横を向くものでしょ。

 

MVPを受賞したからといって、何かが完結したわけじゃない。ひとつのシーズンが終わったに過ぎない。まだまだ僕はサッカーをプレーし続けるのだから、先のことを考えて準備しておかなければいけない。喜びをはじけさせることよりも、僕はそんな気持ちに支配されていた。それはちょっとした危機感に似ているのかもしれない。未来を察知し、そのための準備を怠らない。これは僕にとって、とても自然な気持ちの流れだ。だって、そうじゃないと、すぐ誰かに追いつかれ、追い越されてしまうから。

 

「考える力」は年をとっても関係ない。いや逆に経験を積んだ分、判断のスピードや質は上がるはず。「考える力」は武器となる。だからこそ、年を重ねれば重ねるほど、今まで以上に空気を読み、察知して考える力を磨いていかなくちゃいけない。

 

サッカー界には「ボールは汗をかかない」という言葉がある。これはボールは幾ら動かしても疲れないんだから、人間が走るよりもボールを走らせろという意味なんだけど、「考えること」もこれに似ている。もちろん、考えすぎて頭が疲れるということはあるけど、普段の生活でどんなに悩んで、考えても、それが無駄になることはない。

 

壁があるほうが僕は落ち着く。どんなに分厚い壁であっても、それから逃げることはない。逃げようという気持ちも起きない。どんなに困難で、たとえぶつかって砕け散ったとしても、”ぶつかった”ことで得るものがあるから。物事が起きるには、絶対に何か原因があるはず。自分の思い通りにことが進まないなら、その原因を察知して解決の糸口を見つけ出せばいい。そして僕はわかった。自分がこうやって頑張れば、どんどん巧くなっていく。どんどんいいことが起きるんだなということが。

 

察知力というのは、人が成長するためには欠かせない力であり、目標を達成したい、願いを叶えたいと思うなら、磨くべき重要な力だと思う。それはサッカー選手だから、アスリートだからというのではなくて、あらゆる仕事をしている人に当てはまるはず。思うようにいかないことにぶち当たったとき、原因を察知する力。上司から自分が求められていることを察知する力。目標へ到達するためにやるべきことを察知する力。周囲の変化を「察知」して、臨機応変に対応できれば、状況や環境は変わっていく。空気を読むというのは察知することであり、それは人を思いやり、他人の気持ちを感じる力でもあると思う。

 

書くという作業をすることで、自分の気持ちや考え方を整理できる。それを繰り返すうちに、自分のことを客観的に見つめることができるようになった。

 

細かいことを感じるか、感じないか、考えるか、考えないかで人の成長は違ってくる。何も考えずにサッカーをやっていても巧くならない。そして、海外のサッカーをたくさん見たとしても、巧くはならない。同じ映像を見ながら、何を察知し、感じ、自分のものにするかということが大事だと思う。

 

足が遅い僕は、相手選手よりも先に動き出すことを心がけている。そのためには早い判断が必要となってくる。これは外国人選手に身体能力で劣る日本人が、世界の舞台でプレーするうえでは欠かせないことである。

 

ひとつ注意しなくちゃいけないのは、次のステップへと気持ちがはやるあまりに、今までやってきたことへの意識が薄くなってしまうこと。そうなると、せっかく築いてきた力も、崩れてしまう怖さがある。だから「今までやってきたこと」と「今できること」をしっかりやった上で、それに肉付けをするイメージで、次のことへ挑戦しよう。

 

歯が立たない、自分はまだまだだと思えたら、それはそれで素晴らしいことだと感じている。だって、課題が見つかったってことだから。ラッキーだと感じる。その課題を克服すれば、「また自分の引き出しが増えるな」と。僕はそういう思いをしたくて、ヨーロッパに来たといっても過言ではないから。

 

セルティックパークの大きな風呂につかっているころには、反省ばかりしていることも少なくない。あのとき、パスを出すタイミングを少し遅らせていれば、受け手にとってもっと楽な状況が作れたのかも知れない。体の向きを少し変えれば、もっと広い視野を確保できたかもしれない。だから来週はこういう練習に力を入れたほうがいいなとか、自主練習の時間を増やそうかなとか、考えるネタはつきない。

 

試合終了直後には敗戦の悔しさがあったけれど、ミランとセルティックとの差、そして僕と彼らとの距離を体感できたことを嬉しく思う気持ちもあった。

 

ゴールを決めたり、イメージ通り、もしくはそれ以上のプレーができたとしても、その直後には次のことを考えている。自分のコンディション、味方の動き、相手の動向を察知しながら、何をなすべきか。もっといいプレーをするため、勝利のために必要なことはないかと頭をめぐらせている。

 

「置いていかれちゃう」この危機感はずっと僕のなかにある。もちろん今も。何に対して置いていかれるかは、そのときそのときで違うけれど、この気持ち、危機感がなくなれば、僕はサッカーをやめる。まあ、なくならないと思うけど。

 

自主練習も、ただやるだけじゃなくて、テーマを設定して、「今週はこういうことができるまでやろう」という風に順序だててやった。努力というよりも、そうやってテーマを作ってやったほうが楽しいから。ひとつのテーマをクリアしたら、次のテーマという風に。ただ漠然とやるよりも、僕にとってはそのやり方がずっと面白い。ロールプレイングのゲームをやるのと似た感覚かもしれない。

 

モチベーションを下げたまま、練習をしても意味がない。ふてくされる時間が一番無駄だ。その時間が生み出すいいことなんて、何ひとつない。

 

高校時代は、とにかく毎日、できることを100%やった。妥協しない毎日を過ごせば、何かが得られる。それを知ることができたことも、高校でサッカーをやった成果だと思っている。だからこそ、壁がないとイヤなんだ。普通にただ単純にサッカーをやっているのは、落ち着かない。常に追われているくらいが、僕にとってはちょうどいい。