伊達政宗

伊達政宗

仁に過ぎれば弱くなる。義に過ぎれば固くなる。礼に過ぎれば諂いとなる。智に過ぎれば嘘をつく。信に過ぎれば損をする。

 

勇をたのみにがむしゃらに相手を選ばず戦っている。これは弱冠の者の行為である。強い相手を避け、弱い者を選んで戦い、進退のツボを心得る。これは壮年にならなければ出来ぬことだ。

 

物事、小事より大事は発するものなり。油断すべからず。

 

人がこの世へ生まれて百万長者も、最後に及んで要する所は、方六尺の穴一つ、戒名を刻んだ石碑一つで、家も、倉も、金も、地所も、妻も、子も、すべてを残して、死出の旅路をただ一人辿る。曾(かつ)て我が者と思ったもの、一として我に伴うはない。我は客人であったのである。

 

馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である。

 

大事の義は、人に談合せず、一心に究めたるが良し。

 

気長く心穏やかにして、よろずに倹約を用い金銀を備ふべし。倹約の仕方は不自由なるを忍ぶにあり、この世に客に来たと思へば何の苦しみもなし。

 

まともでない人間の相手をまともにすることはない。

 

朝夕の食事はうまからずとも褒めて食ふべし。元来客の身に成れば好き嫌ひは申されまじ。

 

おのおのの申すことはもっともだが、延引することも時と場合による。今は火急の時だ。わからぬ将来のことを心配しているより、まず目前のことをする。

 

時を移さずに行うのが勇将の本望である。早く出立せよ。

 

今日行くをおくり、子孫兄弟によく挨拶して、娑婆の御暇申すがよし。

 

仮初にも人に振舞候は、料理第一の事なり。何にても、其の主の勝手に入らずば、悪しき料理など出して、差当り虫気などあらば、気遣い千万ならん。

 

わきて釣りには他念なきものなり。太公望、おもしろがりたるも道理かな。罪も報(おくい)も後の世も忘れはてておもしろやと、げにさもあらずるものを。