太宰治

太宰治

人間は、しばしば希望にあざむかれるが、しかし、また、「絶望」という観念にも同様にあざむかれる事がある。

 

人間のプライドの究極の立脚点は、あれにも、これにも死ぬほど苦しんだ事があります、と言い切れる自覚ではないか。

 

一日一日を、たっぷりと生きて行くより他は無い。明日のことを思い煩うな。明日は明日みずから思い煩わん。

 

きょう一日を、よろこび、努め、人には優しくして暮したい。

 

私はなんにも知りません。しかし、伸びて行く方向に陽が当たるようです。

 

私は、ひとの恋愛談を聞く事は、あまり好きでない。恋愛談には、かならず、どこかに言い繕いがあるからである。

 

疑いながら、ためしに右へ曲るのも、信じて断乎として右へ曲るのも、その運命は同じ事です。どっちにしたって引き返すことは出来ないんだ。

 

学問なんて、覚えると同時に忘れてしまってもいいものなんだ。けれども、全部忘れてしまっても、その勉強の訓練の底に一つかみの砂金が残っているものだ。これだ。これが貴いのだ。勉強しなければいかん。

 

笑われて笑われてつよくなる

 

好奇心を爆発させるのも冒険、また、好奇心を抑制するのも、やっぱり冒険、どちらも危険さ。

 

人間の生活の苦しみは、愛の表現の困難に尽きるといってよいと思う。この表現のつたなさが、人間の不幸の源泉なのではあるまいか。

 

怒る時に怒らなければ、人間の甲斐がありません。

 

愛することは、いのちがけだよ。甘いとは思わない。

 

てれくさくて言えないというのは、つまりは自分を大事にしているからだ。

 

駄目な男というものは、幸福を受け取るに当たってさえ、下手くそを極めるものである。

 

安楽なくらしをしているときは、絶望の詩を作り、ひしがれたくらしをしているときは生のよろこびを書きつづる。

 

信実とは、決して空虚な妄想ではなかった。

 

人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。

 

僕は自分がなぜ生きていなければならないのか、それが全然わからないのです。

 

ぽかんと花を眺めながら、人間も、本当によいところがある、と思った。花の美しさを見つけたのは人間だし、花を愛するのも人間だもの。

 

理窟はないんだ。女の好ききらいなんて、ずいぶんいい加減なものだと思う。
今の女性は個性がない、深みがない、批判はあっても答えがない、独創性に乏しく模倣ばかり。さらに無責任で自重を知らず、お上品ぶっていながら気品がない。本当の気品というものは、真黒いどっしりした大きい岩に白菊一輪だ。

 

不良とは、優しさの事ではないかしら。

 

大人とは、裏切られた青年の姿である。

 

僕は今まで、説教されて、改心したことが、まだいちどもない。説教している人を、偉いなあと思ったことも、まだ一度もない。

 

子供より親が大事、と思いたい。子供のために、等と、古風な道学者みたいな事を殊勝さらく考えても、何、子供よりも、その親の方が弱いのだ。

 

親が無くても子は育つ、という。私の場合、親が有るから子は育たぬのだ。
人は人に影響を与えることもできず、また人から影響を受けることもできない。

 

鉄は赤く熱しているうちに打つべきである。花は満開のうちに眺むべきである。私は晩年の芸術というものを否定している。

 

人間は不幸のどん底につき落とされ、ころげ廻りながらも、いつかしら一縷の希望の糸を手さぐりで捜し当てているものだ。