宮本武蔵

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多数の人間と戦う時は、こちらが待っていてはいけない。敵が四方から攻めかかってきても、むしろ、こちらから、一方へ追い回す心で向かっていくべきである。待っていてはいけない。こちらから強く切り込み、敵の集団を追いくずし、切りくずしていくのである。

 

千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす。

 

体の大きい者も小さい者も、心をまっすぐにして、自分自身の条件にとらわれないようにすることが大切である。

 

観・見ふたつの目の付け方があり、観の目(大局を見る目)を強く、見の目(細部を見る目)を弱くして、遠い所をしっかり見極め、近い所を大局的にとらえることが、兵法では最も大切なことである。

 

敵に先手をとられたときと、自分から先手をとって敵にしかけたときとでは、倍も違うものである。

 

棟梁が大工を使うには、その技術の上中下の程度を知り、あるいは床の間、あるいは戸・障子、あるいは敷居・鴨居、天井以下、それぞれの技量に応じて使い、腕の劣るものには床板を張る横木を張らせ、もっと悪いものには楔(くさび)を削らせるといったように、よく人を見分けて使えば、仕事もはかどり、手際がよいものである。はかどり、手際がよいというところ、何事も手抜きしないこと、使いどころを知ること、やる気の程度を知ること、励ますこと、限界を知ること、これらの事どもは棟梁の心得である。兵法の道理もこのようなものである。

 

太刀を執るということは、何としても敵を切るということなのである。受けようと思い、張ろう、当たろう、粘ろう、触ろうと思うから、切ることができないのである。何事も切るための切っ掛けと考えることが肝要である。よくよく吟味しなければならない。

 

平常の身体のこなし方を戦いのときの身のこなし方とし、戦いのときの身のこなし方を平常と同じ身のこなし方とすること。

 

武士といえば、常に死ができている者と自惚れているようだが、そんなものは出家、女、百姓とて同様だ。武士が他と異なるのは、兵法の心得があるという一点においてだけだ。

 

じっくりと構え、兵法を修行することは武士の役目と心得て、今日は昨日の自分に勝ち、明日は自分より下の者に勝ち、後には上手に勝つというように考え、修行して、少しも脇道に心引かれないように心がけるべきである。

 

わが兵法を学ぼうと思う人は、修行の法がある。
第一に、邪(よこしま)でないことを願うこと。
第二に、兵法の鍛錬に励むこと。
第三に、もろもろの芸(武芸・芸能)を学ぶこと。
第四に、さまざまな職能の道を知ること。
第五に、ものごとの利害・得失をわきまえること。
第六に、あらゆることについて鑑識力を身につけること。
第七に、目に見えないところを洞察すること。
第八に、わずかな事にも注意をすること。
第九に、役に立たないことをしないこと。
おおかたこのような道理を心がけて、兵法の道を鍛錬すべきである。

 

脅えるということは何ごとにもあるものである。思いもよらないものに脅えるものである。合戦の場合も、敵を脅やかすことは当然のことである。あるいは鳴り物の音でも脅やかし、あるいは小勢を大軍にみせて脅やかし、また脇から不意を突いて脅やかすこと、これで敵は脅えるものである。その脅える拍子をとらえ、その有利さによって勝つのである。

 

道というものには、学者・僧侶・茶人などの風流者・礼法家・能役者などの道があるが、これらは武士の道ではない。武士の道ではないけれども、これらの道を広く知れば、それぞれに納得するものがある。いずれも人間は、それぞれの道々によく研鑽を積むことが肝要である。

 

固く決意して、朝な夕な鍛練して技を磨きつくして後、自然に自由になり、おのずから奇跡的な力を得、神通力の不思議があるのである。これが武士として兵法修行をする心意気である。

 

「陰を動かす」というのは、敵の心が読みとれないときの方法である。合戦においても、どうにも敵の勢力や動きなどが見分けられないときは、自分の方から強くしかけるように見せかけて、敵の戦略を見るものである。敵の手の内を知れば、格段に有利になり勝利が得やすくなるものである。

 

兵法で「早いということ」は実の道ではない。早いということは、何ごとも拍子の「間」が合わないので、早いとか遅いとかいうのである。その道の上手な人になると、早くは見えないものである。

 

初めの少しのゆがみが、あとには大きくゆがむものである。

 

人のまねをせずに、その身に応じ、武器は自分の使いやすいものでなければならぬ。

 

世間に媚びずに世間から仰がれるようになれば、自然と自分の値うちは世の人がきめてくれる。

 

敵を動揺させることは肝要である。ひとつには「危険と思わせること」、ふたつには「無理と思わせること」、みっつには「予期しないこと」をしかけることである。よく吟味すべきである。合戦では、動揺させることが肝要である。敵が予期せぬときに激しくしかけて、敵の心の動揺が収まらないうちに、こちらが有利なように先手をかけて勝つことが肝要である。

 

兵法の智恵は、とりわけ稽古と実戦では違う。戦場では、万事あわただしいときであっても、兵法の道理を極め平静な心が保てるよう、よくよく吟味しなければならない。

 

心に片時も兵法のことを忘れず、正しい道に励めば、技術的にも勝ち、ものを見る目において人に勝ち、また、鍛錬によって全身が自由自在になるので、身体的にも人に勝ち、さらにこの兵法に馴れ親しんだ心であるので、精神的にも人に勝つ。この境地まで到達すれば、どうして人に負けるということがあろうか。

 

敵と戦うとき、兵法の技や戦法によって表面上は勝ったように見えても、敵の戦意まで絶えさせなかったため、表面的には負けても、心の底までは負けていないことがある。そのような場合は、自分が急に気持ちを替えて、敵の闘争心を絶やし、敵が心底負けた気持ちになるところを見届けることが大事である。この底を抜く(戦意を喪失させる)ということは、太刀によっても抜き、また体でも抜き、また心によっても抜くことがある。心底から崩れた敵には、警戒心を残すに及ばない。そうでないときには警戒心が残る。警戒心が残るようでは、敵は崩れにくいものである。

 

我、神仏を尊びて、神仏を頼らず。