岡田武史

岡田武史

物事の判断基準は「損か得か」「好きか嫌いか」「正しいか間違いか」などいろいろありますが、僕は様々な決断を下すときに必ず「この生き様は美しいか?」と自分に問いかけます。

 

僕はいつも敵のフォワードの1メートル前に1人、3メートル後ろに1人を位置取らせて、前に来るボールは前者がカットして、後ろに来るボールは後者がカットするようにしています。これをやるだけで失点が激減します。すると選手も「おお、なるほど。監督の言う通りにやったら勝てるなあ」となります。

 

自分の理想は、選手達が自分達のいいところをだして、生き生きと躍動するようなチーム。ミスを恐れて、こわごわサッカーしてるとか、淡々と自分のプレーをしてるとか、そういうのは好きじゃない。

 

「どうやって決断するか」といったら“勘”なんですよ。「相手のディフェンスは背が高いから、ここは背が高いフォワードの方がいいかな」とか理屈で決めていたらダメなんです。勘なんです、「こいつ(を使うん)だ」と。

 

サッカーっていうのは論理性なんですよ。もう論理的に確率を考えていくわけですよ。ひらめきでね。例えば1対0で勝ってる。あと10分守りきりたい時、長い目で見て確率では、ディフェンスのうまい選手がいた方が高いですよね。それだけでいいんだったら、確率を考えるだけで論理的に素晴らしいサッカー、いいサッカーになるんです。

 

走れるようになっても走らなきゃ意味がないんですよ。体幹トレーニングしていても体を当てなきゃ意味がない。

 

監督の仕事というのは、正解のわからないことが多いですね。正解のない答えを求めて、考え続けるわけです。そして、現実の結果に対して責任を負う。それが、監督の仕事ですね。勝利という結果が出ればうれしいですけど、全てはプロセスが勝負なんです。スポーツとは、そういうものじゃないでしょうか。

 

ドイツで学んだ強さというのは、 「日本的な情を前面に出したら選手と上手くやれるわけがない。指導者と選手には明確な立場の違いがある。それを実行するには大変な覚悟がいる」 という風な事ですね。多数決原理を必要としない代わりに責任は重いし怖い面も多分にある。だけどその分面白いし、やり甲斐もあるという事なんじゃないかな。

 

かつて私は世界の名門クラブの練習を定期的に見学し、何かを取り入れようとしました。優れた手法を学ぶことは間違いではないといまも思っています。ただ、世界の誰かがやっていることをそのまま真似しても、それ以上にはなれません。

 

代表選手選考の基準は特徴のある選手であること。よく若手を起用しますねって言われるんですけれど、そういう意識は本当にないです。ただ、何を目指しているのかというと、W杯で勝つことです。つまり、僕が見なければならないのは、現在の力ではないんです。いまの時点の力だったら勝てないんですから。アジアレベルでは役に立つだろうけれど、世界に行ったらきついという選手もいます。でも、アジアと戦うときだけ利用して、世界に行ったらサヨナラということはしたくありません。

 

「俺は監督として全責任を負ってこう考えている。お前は能力があると思うからここに呼んでいる。お前がやってくれたら非常にうれしい。でも、どうしてもやってられない、冗談じゃねえというのなら、しょうがない。非常に残念だけどあきらめるから出て行ってくれ。怒りも何もしない、お前が選ぶんだ」

 

人間は土壇場になったら強くなる。本当に人間って強いもんですよ。でも大体みんな、その前に諦める。諦めないで頑張ってたら、人間には底力ってあるもんです。

 

僕は中澤をキャプテンから外したじゃないですか。同世代で仲のいい俊輔、楢崎がレギュラーから外れたでしょ。彼らは仲がいいんですよ、親友なんですよ。そうしたら、あの2人がガッカリしているのに、俺だけキャプテンとして、さあ行くぞって元気よくいけるかなって思ってキャプテンから外したんです。

 

ボクはココが正しいポジションだと言う。「監督に言われたからここにいました」これでは選手じゃない。この傾向が(日本人は)外国人よりちょっと多い。

 

勝負の鉄則に「無駄な考えや無駄な行動を省く」ということがあります。考えてもしょうがないことを考えてもしょうがない。負けたらどうしよう。負けてから考えろ。ミスしたらどうしよう。ミスしてから考えたらいい。できることは足元にある。それをやらないと、目標なんか達成できない。

 

(モリーニョ監督について)戦術は特段変わったことはしていないと思います。すごいオーソドックス。ただ、やるべきことをきっちりやらせている。おそらく彼は選手のハートをつかむすべに長けている。選手との信頼関係を築き、こびを売るのではなく、一線を引きながらも選手を引き付けている。

 

選手交代であれ、戦い方であれ、メンバーであれ、監督のいちばん重要なことというと、 「決断」 することである。そして、その決断が正しいか間違っているかなど、神様以外誰にもわからない。ひとりで全責任を負って 「決断」 するということは、本当に孤独な仕事である。

 

今、日本には才能だけなら昔より断然上の選手が、いっぱいいるんですよ。ところが、取り組む姿勢に物足りなさを感じてじれったい。あれだけ技術に恵まれた若い世代が本当に必死になってファイトできるようになったら、日本のサッカーはもっと強くなりますよ。

 

試合に出ないと伸びないという言葉があるが、そうは言い切れない。練習で力を付けないと試合に出る事、試合で活躍する事などはできないのだ。

 

練習で100%の力を出さない選手は使わない。俺は監督だから11人しか使えない。使われなければやっていられないという選手は出ていってくれ。しかし力を出し切り、俺を嫌いでも、向かってくる選手を俺は見捨てない。1年間、面倒を見る。1試合も出られなくても、上手くなったと評価させる自信はある。

 

イマジネーションとディシプリンのバランスを取るのが監督だと思っています。守備はディシプリンを強くし、攻撃は個人のイマジネーションをある程度尊重すべき。

 

「動物は今を精一杯生きている。でも人間は、済んだことを悔やんで今できない。先のことを心配して今できない。俺はそういうのは大嫌いだ。今できることをやってくれ」

 

知ってる? 自殺するのは人間だけなんだよ。動物は絶対自殺なんてしない、とにかく本能で生きてこうとする。人間は先のことを心配しすぎるから悩んで自殺しようと思っちゃうんだよ。先の事を考えても何がどうなるかなんて分からないんだから、今を一生懸命やるしかない。考えても仕方ないでしょ?

 

サッカーなんて勝負事で相手も勝とうと必死でやっているのだから細かい原因なんて追究してもしょうがない。負ける事もある。

 

僕は時間にもうるさいです。ミーティングに遅れてニヤニヤしている若い選手に 「みなに一言謝れ、どうして一人の人間として謝れない」 と言ったことがあります。

 

サッカーって理論的に物事を考えていかなくてはならないんだけど、例えば、こっちの確率は42%でこっちは45%、そういうことはないわけ。だから最後は思い切りがいる。その思い切る精度を高めるために、自分はもう考えて考え抜くんです。

 

例えば2トップなんか、2人が開いているのは嫌いなんです。必ず1人がこうやったら、もう1人はこう動くというふうに基本的な約束事は作っておきたいと思う。

 

いまの若者は覇気がないといわれています。しかし、これは彼らにすべて責任があるわけではありません。いまの日本社会は、人間が家畜化しています。冷暖房が聞いている中、餌が流れてくる。苦労しないで生きていくことのできる家畜の目はトロンと緩むのは当然でしょう。

 

言われたことをこなすだけじゃ面白くもクソもないだろうという言い方をするんですけど、でもリスクを冒して失敗したらオレは怒るぞと。だからリスクなんですよ、怒られるからリスク。「リスクを冒して失敗しても褒めよう」なんてそれはリスクじゃなくなるんですよ、それは。