石原慎太郎

石原慎太郎

人生を一つの作品と考えるならば、子供時代は材料集めの時期、青春時代を試作品の時期、壮年時代を作品完成期、老年期を仕上げの時期と言い得ることができるのではないだろうか。

 

前頭葉の退化した60、70の老人に政治を任せる時代は終わったんじゃないですか

 

人生に代行などありはしない。生きるということは、一人のものでしかない。誰も君に代われぬし、君も誰のために代われるものではないのだ。

 

広島、長崎という悲劇を私たちが忘れない限り、核兵器を使うことないでしょう、使えることもないでしょう。無抵抗な膨大な数の市民の被害、それが長く続いていることを、もっと世界に積極的に知らせる必要があると思いますな。1発の爆弾がこれだけの被害を長きに与えるという恐ろしさ。どんどん出したらいいと思いますね

 

人間の価値って個性でしょ。個性を裏打ちするものは感性、すなわち情念。情念までコントロールして、情報に埋没してるのが現代。

 

人間は、様々な体験によって育まれ、成長し、それぞれの個性・感性に依る試みを成就することで社会に対する己の人生の意味合いを感知し、さらなる生きがいを知り、新しい意欲を造成していくものである。

 

僕が総理大臣なら、実は百人近くもいるという拉致された日本人をとり戻すためになら北朝鮮と戦争をおっぱじめるよ

 

人生はしばしば長い航海にたとえられる。ときには嵐に見まわれ、暗礁に乗りあげることもある。だが、挫折を知り、敗北を味わった者が、苦しみのどん底から立ち直ったとき、自分の本当の航路を見つけることができる。大きな嵐を経験した者は、嵐の恐ろしさを知るとともに、それを乗り切る術も身につけるのだ。羅針盤に代わる強靭な精神力を得ることができるのだ

 

逆境に陥った人間が、どんな対応を見せるかによって、その人の真価がわかるのである。

 

群を抜く仕事を成した人間を、人々は天才と呼ぶが、何の努力もなしに天才であった人はいない。才能の二倍、三倍の努力をしなければ、才能は表れてくれない。

 

フリーターとかニートとか、何か気のきいた外国語使っているけどね。私にいわせりゃ穀(ごく)つぶしだ、こんなものは。

 

人間は、とくに男は、ある時、自らの弱さをかまえて、死ぬほどつらい、いやむしろ死んだ方がましだと思うほどの辛さを味わうことが必ずある。人は同情をかざしていろいろ言ってくれても、最後は自分ひとりぎりぎりの選択をしなくてはならぬ人生の時があるものだ。それに勝っても負けても、それをくぐらなくては一人前の競争者、一人前の勝負師、一人前の男にはなり得ない。

 

もし、君が年老いて、過去を振り返るときが来たなら、危機は自分の人生を充実させた最も幸福な瞬間であったことに気づくだろう

 

まったくかかわりのない民間人が数千人も死んで、これを戦争と受け取らない方がよっぽどぼけている。報復は当然向こうの人たちは、『第2のパールハーバー』だなんて言っているけど、状況としては民間人を巻き込んだ原爆投下なんだ

 

己の生き方を決めるのは、運命ではなく自分自身である。自分の力の持てる限りをふりしぼって生きるとき、運命はおのずから開けるのである。

 

人生を生き抜くにあたって、自分なりのビジョンや目標を持たない人は、現状維持的な考え方や、保守的な行動をとりがちになる。

 

パチンコと自動販売機は大きな電力を使う。生活様式を考え直したらいいんじゃないか

 

人間の価値というのは「人と違うこと」だと思う。好きなことさせてやりゃいいんですよ

 

日本は相変わらず国連さまに依存して、結局その国連は何の役にも立たなかったじゃないですか。私たちは国連やアメリカを気にしなくとも自分自身でこの国を十分守れる

 

相手が強けりゃなお良いじゃないか。十中八九はかなわねえ奴でも、万が一、ニにはチャンスがあるんだからね。見てる方にはつまんなくったって、やる方にとったらこんな面白い試合はないさ。やってみなけりゃわからねえよ。やってみなけりゃ。

 

震災で東京が完全な防災都市ではないことが分かった。都民が安心して暮らせるよう努力をしなくてはいけない

 

自分のビジョンや目標を持つ人は、それをなんとか達成しようとする意思が働き、前向きの考え方をするようになる。おのずから、行動もそれに従い、活気のある生き方ができるようになる。将来へのビジョンを頭に思い描くことにより、生きる態度も変わってくる。

 

情熱的に生きるということが、男らしく生きるということならば、それは自分の自我を通し、自分の個性的現実を貫き、社会的現実に屈しないという生き方だと思う

 

我々は国威を持ちなおす力を持ちながら、それに気づくことなく他国からのさまざまな収奪に晒されているということにそろそろ気づいて出直すべき歴史の季節にさしかかっていると思う

 

漫然と歩くだけの人生から、力の限り疾駆する人生へ。