空海

空海

片手だけでは拍手できない。片足だけでは歩けない。右手と左手が感応して拍手になり、右足と左足が感応して歩く。だから相手が感応するまで祈り続けなさい。

 

仏として生きる道は遠いところにあるのではない。すぐそこにある。

 

修行して悟りを得ようとする人は、心の本源を悟ることが必要である。心の本源とは清らかで綺麗な明るい心である。

 

周りの環境は心の状態によって変わる。心が暗いと何を見ても楽しくない。静かで落ち着いた環境にいれば、心も自然と穏やかになる。

 

他人の利益をはかるように努めていると、苦しみの世界に行く因縁が消える。

 

人間は誰もが胸のなかに、宝石となる石を持っている。一生懸命磨いて、美しく光り輝く玉になる。

 

信じて修行すれば誰でも必ず仏になることが出来る。

 

もし自分に適していることにその能力を使うなら、物事は極めてうまくゆく。しかし、自分に向いていない物事に、その能力を使うなら、労多く、益は少ないだろう。

 

嫉妬は自分とそれ以外の人とは別々の存在だと思う心から生じる。もし自分と自分以外の人を別ではなく、同じ存在だと見ることが出来れば、嫉妬することがなくなり、公平な心になり、全ての人の善行を心から賞賛できる。

 

心を和らげて耐え忍ぶという心の鎧を着て、目的に向かって努力するという兜をかぶり、人として守るべきルールや道徳を守るという馬に乗り、心を静めて落ち着けるという弓を持ち、正しい事と悪い事を分別するという矢を射って外には悪の軍勢を破り、内には心の賊を滅ぼす。これを仏という。

 

道理に迷って苦しむのも、自分の中にある仏に目覚めて正しく励むのも、みな自分の決心次第である。

 

善行をなそうとする人も、悪行をなそうとする人も、まず心の中でそれをなそうと決めてから、その行動をするものである。仏が悟った安らかな心を求めるのも、また同様にそうなると決めることから始まる。

 

地獄は恐ろしいところだと言われているが必ずしもそうではない。善心を発揮するならば、仏が救ってくださるからである。栄えるのも衰えるのも、みな自分の善行と悪行によるものである。善心を発揮して行動するならば必ず幸せになることができる。

 

つまらない人は、善行と悪行の区別がつかず、その因果も信じることがない。目の前の利益だけを見ているので、その因果は必ず返ってくる。

 

ものの道理を見る目が開いていれば、身の回りのもの全てが大事なものだと分かる。