道元

道元

仏道をならうとは、自己をならうことである。自己をならうとは、自己を忘れることである。自己を忘れることは、万法に証せられることである。万法に証せられるとは、己の心身をも他己の心身をも脱ぎ捨てることである。

 

自己に閉じ込められ、自己にこだわっている間は、世界を真に見ることができない。自己が自由に、自在に動くとき、世界もいきいきと生動する。

 

名を捨て利を捨て、一切諂(へつら)うことなく、万事なげ捨つれば、必ず、よき道人となるなり。

 

無益の事を行じて徒いたずらに時を失うなかれ

 

我が身、愚鈍なればとて卑下することなかれ。

 

身初心なるを顧かえりみることなかれ

 

真実の自己になる。自己の真実を活かす。他の何者のためでもなく、ただわが心を活かすために力をつくす。

 

何かを望むなら、その事柄を寝ても覚めても、ひたすら想い続けよ。そうすれば、たとえ、よこしまな思いでも叶えられる。

 

何事も一心不乱にやれば宇宙の真理を体で感じとることができる。

 

時間は怒涛のように流れもするし、飛躍もすれば、逆回りもする。過去現在未来というふうに流れはしない。

 

何事も一心不乱にやれば宇宙の真理を体で感じとることができる。

 

一法を通ずるものは万法を通ず。

 

まことに一事をこととせざれば 一智に達することなし

 

自己に閉じ込められ、自己にこだわっている間は、世界を真に見ることができない。自己が自由に自在に動くとき、世界もいきいきと生動する。

 

いたずらに過ごす月日の多けれど、道を求むるときぞ少なき。

 

仏道をならうというは 自己をならうなり

 

どんなに手強い敵でも、絶世の美女でも、貴重な宝でも、切に思う心、深ければ、かならず方便も出来様もあるべし。