バーナード・ショー

バーナード・ショー

グラスに入っているワインを見て、「ああ、もう半分しか残っていない」と嘆くのが悲観主義者。「お、まだ半分も残っているじゃないか」と喜ぶのが楽観主義者である。

 

家庭はどこで始まるか?若い男と若い娘が恋愛に陥ることから始まる。これ以上立派な道は、まだ発見されていない。

 

男の義務と責任は、子供のためにパンをうる仕事で終始するのだ。女にとって男は、子供をつくって育てるための手段にすぎない。

 

一年に2、3回以上ものを考える人はほとんどいない。私が世界的な名声を確立したのは、一週間に1、2回ものを考えたからだ。

 

二十代の頃より10倍金持ちになったという六十代の人間を見つけることは簡単だ。だが、そのうちのだれもが10倍幸せになったとは言わないはずだ。

 

私のやり方は、言うべき正しいことを最大限の骨を折って探し出し、その後、最大限の軽率さで言ってのけることである。

 

あらゆる人間の闘争のうちで、男の芸術家と母としての女の闘争ほど残忍・悲惨なものはない。

 

嘘つきの受ける罰は、人が信じてくれないというだけのことではなく、ほかの誰をも信じられなくなる、ということである。

 

良識を求めることのできない人間には三種類ある。恋をしている男。恋をしている女。そして、恋をしていない女である。

 

物分りのいい人は自分を世の中に適合させる。わからず屋は自分に世の中を適合させようと頑張る。だから、全ての進歩はわからず屋のおかげである。

 

できうるかぎり早く結婚することが女の務めであり、できるだけ永く独身でいることが男の務めである。

 

性的にいうと、女は自然が最高の完成を保全するために工夫したものであり、男は自然の命令をいちばん経済的に果すために女の工夫したものだ。

 

戦争において、いざ戦おうとするのに必要とするのは、多少の熱い血と、勝つことよりも負けるほうが危険である、ということを知るにある。

 

真の芸術家は妻を餓えさせ、子供をはだしにし、七十歳になる母親に生活の手助けをさせても、自分の芸術以外のことは何もしないのだ。

 

自由は責任を意味する。だからこそ、たいていの人間は自由を怖れる。

 

地獄は名誉・義務・正義、その他の怖ろしい徳の故郷なのだ。地上の悪事はすべて、こういう名のもとに犯される。

 

娘は父親が世話し、息子は母親が世話すべきである。父親・息子と母親・娘の法則は、愛の法則ではない。それは革命の法則であり、解放の法則であり、有能な青年が疲れ果てた老人どもを圧服する法則である。

 

あらゆる歴史は、天国と地獄の両極端の間にある世界の振動の記録にすぎない。一期間というのは、その振子のひと振りにすぎないのに、各時代の人々は、世界がつねに動いているので進歩しているのだと思っている。

 

貧乏に対する恐怖に人生を支配させてしまえば、その報酬として食べていくことができるだろう。しかし生きることはできなくなる。

 

黄金律はないということが黄金律である。

 

人類から愛国心を叩き出さないかぎり、決して平穏な世界に住むことはできないだろう。

 

人は習慣を好む、なぜなら、それを作ったのは自分だから。

 

もし君と僕がりんごを交換したら、持っているりんごはやはり、ひとつずつだ。でも、もし君と僕がアイデアを交換したら、持っているアイデアは2つずつになる。

 

若いうちはすべてが許され、何も許そうとしない。歳を経るとすべてを許すようになり、何も許されなくなる。

 

人生には二つの悲劇がある。一つは願望が達成されないこと、他の一つは、それが達成されることである。

 

結婚をしばしば宝くじにたとえるが、それは誤りだ。宝くじなら当たることもあるのだから。

 

年をとったから遊ばなくなるのではない。遊ばなくなるから年をとるのだ。

 

有能な者は行動するが、無能な者は講釈ばかりする。

 

すべての偉大な真理は、最初は冒涜の言葉として出発する。

 

精神にとって、休閑期は種まき時と同じように重要だ。肉体だって耕作しすぎたら疲れてしまう。

 

成功の秘訣は、多数に逆らうこと。

 

われわれの人類に対する最大の罪は、彼らを憎むことではなく、無関心であることだ。それは非人間性の精髄だ。

 

間違った知識には注意せよ。それは無知よりも危険である。

 

人間を賢くし人間を偉大にするものは、過去の経験ではなく、未来に対する期待である。なぜならば、期待をもつ人間は、何歳になっても勉強するからである。

 

人生とは自分を見つけることではない。人生とは自分を創ることである。

 

時間が十分にあれば、すべてのことが遅かれ早かれ誰のもとにも起こりうる。

 

間違いを犯してばかりの人生は、何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。

 

女の歓びは男の自惚れを傷つけることである。