ネルソン・マンデラ

ネルソン・マンデラ

人間として、何もせず、何も言わず、不正に立ち向かわず、抑圧に抗議せず、また、自分たちにとってのよい社会、よい生活を追い求めずにいることは、不可能なのです。

 

あなたが遠慮しても世界の役には立たないのだ。まわりの人が気後れしないようにと、あなたが身を縮めることは何の美徳でもない。

 

私は学んだ。勇気とは恐怖心の欠落ではなく、それに打ち勝つところにあるのだと。勇者とは怖れを知らない人間ではなく、怖れを克服する人間のことなのだ。

 

成功するために大切なのは、どこから始めるのかではなく、どれだけ高く目標を定めるかである。

 

遺恨の念は、毒を飲んでおきながら、それが敵を殺してくれると期待するようなものだ。

 

大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山があることを見出す。

 

真の和解はただ単に過去を忘れ去ることではない。

 

私は自由への長い道を歩んできた。つまずかないように努めてきた。途中、道を踏み外すこともあった。しかし私はある秘密を発見した。大きな山に登ってみると、人はただ、さらに登るべきたくさんの山々があることを見つけるのだと。私はそこで少しのあいだ腰を下ろし、私を取り巻く燦然たる眺めを盗んだ。私が歩んできた道のりを振り返りもした。しかし私が休めるような時間はほんのひとときしかない。自由には責任がついてくる。そしてここに居座るわけにはいかない。私の長い道のりはまだ終わっていない

 

何事も成功するまでは不可能に思えるものである。

 

勝利をつかむその日まで、一歩ずつ、着実に進んでいきます。

 

まず何よりも、自分に正直でありなさい。自分自身を変えなければ、社会に影響を与えることなど決してできません。偉大なピースメーカーはいずれも、誠実さと正直さ、そして謙遜さを兼ねた人たちです。

 

我々が最も恐れているもの、それは、自分には計り知れない力がある、ということだ。我々が最も恐れるもの、それは我々の光であって、闇ではない。我々は自分に問いかける。自分ごときが賢く、美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?だが、そうあってはなぜいけない?あなたは神の子である。あなたが遠慮をしても世界の役には立たない。周りの人が気後れしないようにとあなたが身を縮めることは何の美徳でもない。我々は、自らの内にある神の栄光を現すために生まれてきたのだ。そしてそれは限られた人々のものではなく、すべての人の内にある!我々が自らの内にある光を輝かせるとき、無意識のうちに他者に対しても同様のことを許している。我々が自分の持つ恐れから自らを解放するとき、我々の存在は同時に他者も解放する。私が我が魂の指揮官なのだ。

 

我々は自分に問いかける。自分ごときが賢く、優雅で美しく、才能にあふれた素晴らしい人物であろうはずがないではないか?だが、そうあってはなぜいけない?

 

私たちは、私たちのうちなる神の栄光を証明するために生まれてきた。それは、限られた何人かにうちにだけあるのではない、すべての人のうちにある。私たちが、自分自身の光を輝かせるとき、他の人々も同じようにすることを無意識のうちに赦しているのだ。

 

こんな言葉がある。刑務所に入らずして、その国家を真に理解することはできない。国家は、どのように上流階級の市民を扱うかではなく、どのように下流階級を扱うかで判断されるべきだ。

 

裁判とは、心の強さが試される闘いであり、道義を守る力と道義にそむく力とのぶつかり合いなのだ。

 

人種差別は魂の病だ。どんな伝染病よりも多くの人を殺す。悲劇はその治療法が手の届くところにあるのに、まだつかみとれないことだ。

 

教育とは、世界を変えるために用いることができる、最も強力な武器である。

 

生きるうえで最も偉大な栄光は、決して転ばないことにあるのではない。転ぶたびに起き上がり続けることにある。

 

私は民主的で自由な社会の実現のために生きている。しかし、もし必要あらば、その理想のために私は死ぬことを覚悟している。

 

相手の知っている言葉で話しかければ、それは相手の頭に届く。相手の持っている言葉で話しかければ、それは相手の心に届く。

 

指導者には、民衆を正しい方向へ導いているという自信のもとに、群れより先を行き、新たな針路を拓かなくてはならないときがある。

 

もしもあなたが敵と平和を築きたいなら、敵とともに働かなくてはならない。そうすれば敵はあなたのパートナーとなる。

 

自由であるというのは、単に己の鎖を脱ぎ捨てるだけではなく、他人の自由を尊重し、向上させるような生き方をすることである。

 

生まれたときから、肌の色や育ち、宗教で他人を憎む人などいない。人は憎むことを学ぶのだ。もし憎しみを学べるのなら、愛を教えることもできる。愛は、憎しみに比べ、より自然に人間の心にとどく。

 

奴隷制やアパルトヘイトと同様に、貧困は自然のものではなく、人間から発生したものだ。よって貧困は人類の手で克服し、根絶できるのだ。

 

楽観的であるということは、顔を常に太陽へ向け、足を常に前へ踏み出すことである。

 

私の長い道のりは、まだ終わっていない。