アルボムッレ・スマナサーラ

世間でいう「幸せ」というのは、ある苦しみが一瞬紛れた、消えたように見えた状態のことを言っているのであって、絶対的な「幸せ」などというものはどこにもないのです

いくら世間から評価されようとも「あれ、これは違うぞ」という心の声が聞こえてきたらそれはしてはいけないこと

水田もないのに稲はつくれません。友人をつくりたいのなら、まず自分の周囲にしっかりした人間関係をつくることです

人生はすでにスタートしています。もう引き返せません。どんな人間でも死ぬ、そこがゴールです

妄想しているから、ストレスがたまるのです

批判されても気にすることはないのです。世間からすれば、あなたはどうでもいい存在ですから、無責任にいいたい放題なのです

人間の本音というのは、自分の願望さえ叶えば、どんな残酷なことでもやってのけるのです

仏教が勧める生き方は、「将来の夢」など考えずに、いま瞬間やっていることは、何であろうとベストを尽くすことです

主観による思考がストップすると、妄想もストップします。すると、心は無色透明のきれいな状態になります

ものを捨てるときは、いい気分で捨てましょう

仏教では、知識をやみくもに増やすことを推奨しません。人生に役立つ程度に知識を増やし、それを使っていく。それ以外の、自分の人生にとって役に立たない知識は、まったく憶える必要はない。これが、仏教の「知識」に対する姿勢です

何かにこだわるから、怒りや欲が出るのです。執着を捨てられれば、こうした怒りや欲に苛まされることもなくなり、エネルギーを満たしつづけることができます

人間関係はなぜこれほど難しいのか。それは、人間にはもともと社会性がないからです

私たちは「他人の気持ちがわかるようになりたい」という大それたことを考えるのはやめるべきです。それよりも、「自分の気持ち」を理解することです

人生にはひとつのことに成功したとか失敗したとか言っている暇はないのですよ

感情にまかせて突っ走る人は、ただうるさいだけです。迷惑です

人間はみな、欲の病人です

「社会の歯車」という言い方がありますが、人間一人ひとりは、歯車でさえない。せいぜい水道の蛇口を締めるときに使う、ゴムのパッキンくらいの存在です

生きるというのは、単に母体から生まれてきた生物が、年をとって、徐々に衰えてゆき、ついには寿命を迎えて死んでいく、ただそれだけの話です

実はいつも「忙しい、忙しい」といっている人は、一見まじめなようですが、「怠け者」です

世の中には「答えのない問い」と「答えのある問い」があります。「生きる意味」は「答えのない問い」です。「答えのない問い」は放っておく

何かをさがす目的で森に入る人は、ほんとうの森の姿はみえません

自我というのは錯覚なのです

飢えている人にご飯をあげることはできますが、食べるという仕事は、その本人がしなくてはならないのです

人を羨む気持ちが生まれたらどうすればいいか。まず、猛毒だと思ってすぐにつぶすことです

妄想とは、現実をありのままには認識しないで、自分の好みで、主観で認識することです。頭の中で概念だけが回転する状態です

感情というのは、理性が壊れた状態のことをいいます

もっと欲しいという思いが人生を苦しくします

祈るくらいなら努力してください

自分を嫌うことほど損なことはない

人間の心は、放っていけばすぐ悪い方向へ向かいます

生まれたばかりの赤ちゃんは何もできません。でも、生まれてから毎日毎日学んでいるでしょう。そうやって死ぬまで学ぶんです