私たちは組織で戦っている。応用は許すが、原点を忘れることは許さない。
3人の個性派に、8人の明神がいればチームは出来る
私は、監督が60%以上の勝利に対する責任を負っていると思っています。まず人間を選び、そして戦術を選び、コーチングをする。
日本には守りの文化がない
スター気取りになってはいけない。でないと、城や前園のように地獄に落ちることになる
負けは認めなくてはいけない。それでも自分たちのサッカーを信じ、自分たちの哲学を貫き通したことに誇りを持ちたい。
組織プレーが60%以上を占めるサッカーでは互いのコミュニケーションが大事。だからこそ彼らに自己表現を求めた。
赤信号でも車が来ないと分かっているなら渡ってしまえ。信号を守るのは身の安全を確保するためであって、規則を守ること自体が目的ではないはずだ。
特に最近気づいて驚いているのは、ほとんどのスポーツ新聞の一面は一緒だということ。
哲学が一致しないなら、胸を張って日本を去る
彼ら(マスコミ)は監督というものが、魔術師か何かだと思っているようだ。
日本人がサッカーの観戦後、ビールを飲みながら飲み屋でその試合を振り返るような雰囲気を作れたとき、初めてサッカーは国民の間に浸透したことになるだろう。
うまい選手を選ぶだけなら、私でなくてもできる。ジャーナリストでも、ファンでも、街の誰かでもできる。
以前は私も選手の部屋でポルノ映画を一緒に見ていたが、今は自由に見てもらっている。ふたりだと危険なので、3人で見てもらっているが。
試合後は誰でも監督になってあれこれ言える。しかし試合前の決断を下すのは監督である私ひとりだけだ。
サッカーで起きることは、予想できないし、論理的解説もできない。しかし唯一、監督だけがこれを予想し、自分の読み通りになったときは、一瞬天才ではないかと思える。
選手と、協会と、メディアと…日本とフランス異なる価値観の衝突が、日本代表をどんどん強くした。それはサッカーが、機械やロボットではなく、まさしく人間のスポーツだから。
私はみんなと仲良く、みんなと仲が悪かった。監督の仕事は選手から好かれることではない。常に殴り合いをしながら前進する感じだった。
あれは新聞が書いた「連載恋愛小説」。どんな選手でも問題があればメンバーから外しベンチに置く。それで嫌いということになるのかい?
レギュラーは一人もいない。強いていえば、私だけだ。