
最大の危険は、目標が高すぎて、達成出来ないことではない。目標が低すぎて、 その低い目標を、達成してしまうことだ。
私の魂は、美しいこの世を通してでしか、天国への階段を見つけられない。
絵は頭で描くもの。手で描くのではない。
優れた芸術を創造し、優れた仕事をするためには、一生懸命に倦まず弛まず働くことだ。
私がこの芸術の域に達するまでに、どれほどの努力を重ねているかを知ったら、芸術家になりたいとは誰も思わないだろう。
真の芸術作品は、神が与える完成の影に他ならない。
羅針盤は手の中にではなく、目の中に持つことが必要だ。何故なら、手が実行し、目が判断するからだ。
神よ、どうか私をお許しください。いつも創造を超えて想像することを。
美しいものを創作しようとする努力ほど、人間の魂を清めてくれるものはない。
優れた絵画とは、まるで彫刻のように見えるものである。
おおよそ完全無欠な仕事というものは、多くの小さな注意と、小さな仕事とが相集って成る。ゆえに大事を完成するものは、細心の注意と努力。
私は大理石の中に天使を見た。そして天使を自由にするために彫ったのだ。
ささいなことが完璧を生み出すが、完璧は、ささいなことではない。
私は神の特別な光のなかで生き、そして愛す。
千の楽しみも、一つの苦しみに及ばない。
私は、神が出来うる限り私の命を永らえるために、私に与えられた芸術分野で働いている、貧しくあまり価値のない人間だ。
やる価値のあることなら、たとえ最初は下手であっても、やる価値がある。
どれだけの労力を注ぎ込んだかを知れば、天才なんて呼べないはずだ。
まだ彫られていない大理石は、偉大な芸術家が考えうるすべての形状を持っている。
絵画なるものは、彫刻に似ているほど良く、彫刻というものは、絵画に似ているほど悪い。絵画と彫刻には、月と太陽ほどの、違いがある。
私の場合は、 美しいこの世を通してでしか、天国へ行く階段が見つからない。
まだ彫られていない大理石は、偉大な芸術家が考えうるすべての形状を持っている。
死と愛は、善人を天国へと運ぶ二つの羽だ。
二次元で表現する絵画よりも、三次元で表現する彫刻の方が上である。
神よ、どうか私をお許しください。いつも創造を超えて想像することを。
天才とは永遠の忍耐である。
私の荒々しい槌が硬い岩石をあれこれと仕上げる時、その槌を動かすものは、それを握り、それを操り、それを動かす手である。それは他から来る力に押されて進む。
時間の浪費ほど大きな害はない。
どんな石の塊も内部に彫像を秘めている。それを発見するのが彫刻家の仕事だ。
余分なものを取り除いていくことにより、彫像は完成していく。
私が残念に思うのは、やっと何でも上手く表現出来そうになったなぁ、と思うときに死なねばならぬことだ。