明智光秀

たとえ織田信長は討ったとしても、道理にかなっているか否かを責められる理由はない。織田信長も私も等しく武士の家系であり、敬うのはただ一方の他ない。その根本的な道徳は私の心の中にある。それを知るものはやがて知るだろう。とはいえ五十五年の夢も醒めてみれば、私も世間の様々な評判に洩れるものではなかった。しかしその世間の評判をなす者もまた一つの根源に帰らなければならないだろう。

心しらぬ 人は何とも 言はばいへ 身をも惜まじ 名をも惜まじ

仏の嘘をば方便といい、武士の嘘をば武略という。これをみれば、土地百姓は可愛いことなり。

瓦礫のように落ちぶれ果てていた自分を召しだし そのうえ莫大な人数を預けられた。一族家臣は子孫に至るまで 信長様への御奉公を忘れてはならない。

自分は他の誰でもない、煕子殿を妻にと決めている

いざ、お前を50日のうちに輿(こし、身分の高い人が乗る乗り物)に乗せる身分にしてみせる

たとえ天下をとったとしても、妾(側室)は持たぬ

わしは千人の頭になることくらいで終わるつもりはない。もっと大きくなる

光忠は父の代には我が領内の百姓であったのを、父が召し抱えて足軽としたのだ。そして、私の代になると功を重ねて出世し家老まで上り詰めたので、明智の姓を与えた。
百姓であった時の初心を忘れず、父の霊を弔ったその姿は武士の鏡とも言えるものだ。それを笑うものではない。

時(土岐)は今 雨が下しる(天が下知る) 五月哉

私は信長公に積年の怨みがあった。今から本能寺に赴いてこれを攻めよ

敵は本能寺にあり