村上春樹

村上春樹

私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。

公正さというのは極めて限定された世界でしか通用しない概念のひとつだ。しかしその概念はすべての位相に及ぶ。

インターネットで「意見」があふれ返っている時代だからこそ、「物語」は余計に力を持たなくてはならない。

人生でいちばんきついのは、心ならずも誰かを傷つけてしまうことであって、自分が傷つくことではありません。

月の裏側に一人残されていたような恐怖を自分のことのように想像しながら、その状況の意味を何年も考え続けた。

僕らはとても不完全な存在だし、何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。

死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。

誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。しかしそれでも我々はそんな回転木馬の上で仮想の敵に向けて熾烈なデッド・ヒートをくりひろげているように見える。

世の中の人間の大半は、自分の頭でものを考えることなんてできない。そしてものを考えない人間に限って他人の話を聞かない。

慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。

例えば「壁と卵」の話をいくら感動的と言われても、そういう生(なま)のメッセージはいずれ消費され力は低下するだろう。

制度は自己増殖してわたしたちを殺すようになったり、わたしたちに他人を冷酷かつ効果的、組織的に殺させる

高く堅固な壁と卵があって、卵は壁にぶつかり割れる。そんな時に私は常に卵の側に立つ

人は原理主義に取り込まれると、魂の柔らかい部分を失っていきます。そして自分の力で感じ取り、考えることを放棄してしまう。

昔スティーヴン・キングが「ウンコ投げ競争の優勝者は、手がいちばん汚れてない人間だ」と言いました。

目に見えるものが、ほんとうのものとは限らない。

僕たちは一年ごと、一月ごと、一日ごとに齢を取っていく。時々僕は自分が一時間ごとに齢を取っていくような気さえする。そして恐ろしいことに、それは事実なのだ。

今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

深刻になることは必ずしも、真実に近づくこと…ではない。

あれは努力じゃなくてただの労働だ。俺の言う努力というのはそういうのじゃない。努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ。

完璧な文章などといったものは存在しない。 完璧な絶望が存在しないようにね。

僕らはとても不完全な存在だし、何から何まで要領よくうまくやることなんて不可能だ。不得意な人には不得意な人のスタイルがあるべきなのだ。

僕は逃げられないし、逃げるべきではないのだ。それが僕の得た結論だった。たとえどこに行ったところで、それは必ず僕を追いかけてくるだろう。どこまでも。

自分に同情するな。自分に同情するのは、下劣な人間のやることだ。

忘れたいものは絶対に忘れられないんです

死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。

孤独好きな性格を守るのに、誰にも迷惑をかけてないはずだという論理は逃げである。孤独は闘い取るものだ。闘い取られていない孤独は、いつか人の心を蝕む。

一人で暮らす人間は知らず知らずいろんな能力を身につけるようになる。そうしないことには生き残っていけないのだ。

僕がエルサレム賞を受賞した際も、インターネットで反発が盛り上がったようだ。でもそれは僕が受賞するか拒否するかという白か黒かの二元論でしかなく、現地に行って何ができるかと一歩つっこんだところで議論されることはほとんどなかった。

ものごとがあまりに完全だと、そのあとに決まって反動がやってくる。それが世のならいだ。

一般論をいくら並べても人はどこにも行けない。

深刻になることは必ずしも、真実に近づくこと…ではない。

(メリーゴーランドと同じで)人は誰をも抜かないし、誰にも抜かれない。

過ちを進んで認める勇気さえあれば、だいたいの場合取りかえしはつく。

非常に簡単な言葉で、非常に複雑な物語を語りたい

死は生の対極としてではなく、その一部として存在する。

人々は闇の中から出てくる何かを見つけることで闇の中から救われることができる

人は勝つこともあるし、負けることもあります。でもその深みを理解していれば、人はたとえ負けたとしても、傷つきはしません。人はあらゆるものに勝つわけにはいかないんです。人はいつか必ず負けます。大事なのはその深みを理解することなのです。

少しずつ向上する。少しずつだけれど、それでも向上は向上だ。

流れというものが出てくるのを待つのは辛いもんだ。しかし待たねばならんときには、待たねばならん。

一度死んでしまえば、それ以上失うべきものは何もない。それが死の優れた点だ。

この世界において、退屈でないものには人はすぐ飽きるし、飽きないものはだいたいにおいて退屈なものだ。

小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。

小説を書く、物語を書く、というのは煎じ詰めて言えば、「経験していないことの記憶をたどる」という作業なんです。

多くの人は枠組みが必要で、それがなくなってしまうと耐えられない。いろんな檻というか囲い込みがあって、そこに入ってしまうと下手すると抜けられなくなる。

慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにとにアドバイスをしたことです。

信仰の深さと不寛容さは、常に裏表の関係にあります。